ヒーリングっどプリキュアを『悪意に満ちた失敗作』にしたくてたまらない人達の話
前置き
『ヒーリングっどプリキュア』は、2020年2月2日から2021年2月21日まで朝日放送テレビの制作により、テレビ朝日系列で毎週日曜8時30分から9時に放送されていた、東映アニメーション制作のテレビアニメ。「プリキュアシリーズ」の通算17作目にして、15代目のプリキュアに当たる。 略称は「ヒープリ」。
Wikipediaより紹介文を抜粋しました。
シリーズを踏まえた作品の概要を引っ張ってくるとなると公式サイトよりこっちの方が分かりやすかったので。
このヒープリ、最近ではアニメ雑誌『アニメージュ』が主催するアニメグランプリにおいて、2020年の作品部門第1位という快挙を達成しました。プリキュアシリーズ史上初とのことで、シリーズのファンとして喜ばしい話ですね。
その他の部門1位を見ても鬼滅かヒープリかといったラインナップとなっており、正直言ってここまでの評価を得ていたとは思いませんでした。
と、ここまでは作品についての前置きです。
ここからはタイトルにあるように、ツイッター上でヒープリに対して否定的な意見を吐き出し続けている人達の主張についてまとめていきます。
ヒープリ本編と2021年映画を視聴している前提で進んでいくのでご注意ください。
概要
まずは今回の話題の対象である「粘着型アンチヒープリ」についての解説から。
「自分の好みじゃなかった」とか「特にメッセージは伝わってこなかった」といった主観ではなく、ヒープリが「悪意を持って作られていて、子供に悪影響を及ぼすような、客観的に見て倫理観の欠如した創作物だった」ということを半年以上に渡って主張し続けているのが、いわゆる粘着型アンチヒープリの人達です。
単純にヒープリ苦手、合わない、つまらない…程度で済んでいるアンチの人はこの記事には関係ありません。
続いて、筆者がそれをわざわざまとめるに至った理由ついて。
その理由は、普段プリキュア界隈に居るだけではとても見られないような、自分の想像を遥かに超えた特徴的な主張が矢継ぎ早に飛び込んでくる世界に衝撃を受けたので、ただそれをまとめておきたかった…という興味本位が第一です。
それとツイッターではすぐに発言が流れてしまうし、字数制限やフォローの関係で各人の知り得る情報がどうしても散らばってしまうので、すべてではないにしても一定量の情報がまとまっていた方が便利だと思ったのもあります。
コピペや引用は著作権のなんちゃらが発生するため避けました。なので一字一句違わず同じテキストとはいきませんが、実際の発言内容との違いは特にありません。
また発言内容に続けて、その補足や筆者の主観に基づいた意見も記載しています。
長くなりましたが、ようやく本編始まります。
本題
- 花寺のどかは悪意を持ってダルイゼンを執拗に痛めつけた
42話、ダルイゼンが退場した回についての発言。
この主張に対して理解や納得ができた人であれば、これ以降書き連ねていく粘着アンチ側の主張を取り入れて考えていくことができると思います。
「そんなことなくない?」といった、少なくとも好意的ではない感想を持った人へ。
最初からいきなりアレなんですが、ここから先はちょっと刺激が強いかもしれません。
何故なら、彼ら彼女らにとってこれは「主張」ではなく「大前提」だからです。
ヒーリングっどプリキュアを最初から最後まで視聴した人間ならそう捉えるのが一般的である、という大前提に基づいて話は続きます。
- 現実世界で「やられたからやり返す」を実行するのは犯罪なので、花寺のどかは犯罪者
現実世界では被害者が加害者に報復することでさらなる被害が拡大するおそれがあるので安易に反撃するのはよくない…という流れの発言。
個人的には、プリキュアに限らずあらゆる子供向けヒーロー物において、自分や大切な人が危害を加えられる状況で、持てる戦力を利用して敵を撃退する…というのはごく自然な流れだと思っています。
それらもすべて現実で考えたら犯罪者同士の報復合戦ということになるので認められない、という主張であれば一応一貫性があって理解はできるのですが、この主張はヒープリのみを標的にしたものです。
この理屈でヒープリだけを糾弾するのはかなり無理があるんじゃないか…という見解です。
- フィクションの世界の地球は滅んでもよい
最終決戦において、あの状況でプリキュアがビョーゲンズを救おうとしないのはおかしいという粘着アンチの人達の主張があったところからです。
それに対してファンの人達から「プリキュア達は地球や大事な人達が蝕まれている状況だしタイムリミットも読めないのに、攻撃を止めない敵に対して手を差し伸べることを強制するのはどうなのか?」との意見。
その意見に粘着アンチ側が「フィクションなんだから、地球が滅びるとしてもダルイゼンと対話すべきだった」と返した…という流れ。
説得が受け入れられずビョーゲンズが地球を滅ぼしてしまったらそれはプリキュアの力不足なのでしょうがない、という話です。
個人的には、本編中でビョーゲンズ一派に対話が通用しないことは初期から描写されてきたと思っています。言葉は通じるけど人の気持ちはまるで伝わらない、地球を蝕むことを絶対とする明確な敵…というところが個性であり魅力なんですよね。
ひとつ前の主張では地球外からの侵略者に対して現実世界の法律を適用させたかと思えば、今度はプリキュアの住む世界はフィクションなのでどうなっても良いと言ったりと、正直混乱しています。
- 海外のプリキュアファンは、ヒープリの評価がこんなことになっているって知らなくてかわいそう
「こんなこと」というのは、ここまで書いてきた内容を前提としたもの、つまりヒープリが悪意を持って生み出された失敗作だということです。
この発言に対しては実際に海外ファンの方からリプライがありました。
その内容は「海外ファンはあなた達のような捏造する人間がいることを知っています」といった反論です。
それ以降のことは当の発言者がダンマリなので分かりません。
- ダルイゼンがかわいそうだと子供が泣いていた
そしてこんな風に子供を泣かせるように作品は失敗作だし、親が介入しなければ子供が納得できないような作品もまた失敗作…とのこと。
これについては「その泣いている子には作品関係なく身近な大人が寄り添うべきでは?」「映画館などでグッズを持って楽しそうにしている子供を見たことは?」「子供をひと括りにして自身の主張に利用するのは良くない」といった意見がありました。
筆者としても、小さな子供が何に触れるにしても基本的に親の介入はあって当然なんじゃないかと。
- 今はヒープリを好きな子供が、将来「こんな作品を好きだったのか」と知って悲しむ
上記を経て、こういう主張になったようです。
その時楽しんでいた、今も楽しんでいる、そんな子供達が将来こんな悪の作品を好んでいたという事実を知ったら悲しんでしまう…ということになっていました。
未来のことは誰にも分からないので否定することも特にないけど、誰にも分からない未来の仮定の話って結局言いたい放題だし本当に何にでも言えてしまうので、ただパンチの弱い主張になったなあ…と感じています。
- 製作者にダメージを与えられて良かった
完結後に発売されたコンプリートガイドに書かれていた製作者のコメント「彼女達(プリキュア)が考え抜いて出した結論をあんまり悪く言わないであげてほしい」といった内容を取り上げての発言。
連日の制作スタッフやキャラクターへの誹謗中傷の結果が実を結んだことを喜々として内輪で共有する姿に対して、ファンからは「これこそビョーゲンズ的な思想では?」といった感想も出ていました。
これは筆者も正直そう思いました。この人達リアルビョーゲンズだよねって言って粘着アンチの人に怒られたこともあります。
- 癒しがテーマと言っていたのに、ダルイゼンの尊厳を踏みにじって痛めつけて消滅させた
ダルイゼンが退場した42話以降から今に至るまでホットな主張。
個人的には、これが第1話のメガビョーゲンに対処した時点で「癒しがテーマとか言ってたけど今までと同じじゃないか!」と主張しているなら、まあ言いたいことはギリギリ分かるんです。
けど、ずっとヒープリを視聴し続けてきた末にダルイゼンが退場してからこの主張をし始めるのは明らかにタイミングがおかしい。
「人の形をしている、人語を解する、といった条件を満たしたものの尊厳は守らねばならない」ということであればその問題はクリアできるけど(それならケダリーの時点で怒るべき)、そうなるとヒープリに限らない様々なヒーロー物の作品に同じ指摘ができてしまうので、この主張の着地点が把握しきれていません。
- 映画でビョーゲンズとの和解の可能性が示されたのに、本編ではダルイゼンの尊厳を踏みにじって痛めつけて消滅させた
まず映画にビョーゲンズ出てきてません。
エゴエゴ(映画限定の敵キャラです。念のため)がナノビョーゲンを利用して作られた生命体だったというだけで、ダルイゼンらテラビョーゲンとは直接の繋がりがないんですよね。与えられた役割も能力も全然違うし…。
本編でノー和解なら映画で和解見せるなってことなら、その逆(本編和解多めなのに映画の敵は普通に撃退)をやってる他シリーズはどうなるのかって話だし、逆ならいいんだよってことならその理由が全然わからないので解説がほしいところ。
仮にエゴエゴがビョーゲンズ級に和解の余地のない悪だったとして、プリキュアがそれを浄化したら「ほら見ろ! こいつらは誰も救わないじゃないか!」って怒ってるんだろうなって思ってます。
- 最終話のテアティーヌの指す「希望」はキュアサマーのことであり、ヒープリの面々には希望を持っていない
だそうです。
読んでくれている人もそろそろ疲れてきたと思うので、ここからは巻いていきます。
- 他のプリキュアシリーズでは敵の価値観を否定することはなかった
敵の状況とか一切考慮せずに「そんなの間違ってる!」とか「絶対に許さない!」といった返しから必殺技でご退場願う、そんな展開を積み重ねてきたプリキュアシリーズで…?
- 他シリーズでは、プリキュアは最低一人以上の敵と和解しているのにヒープリはしなかった
作中に和解枠がひとつ確保されていればノルマ達成、他にプリキュアからの歩み寄りがないまま倒された敵がいようが構わない、というのは流石に無慈悲では?
- 正しいか正しくないかで語っている時点でヒープリファンは作品を楽しんでいない
ヒープリの悪意を大前提とした主張を掲げて「よってこの作品は間違っている」と言っている人の発言内容を指摘したらこの返答。すごい。
- プリキュア5の副音声が入ってなかったら映画ヒープリのディスクの売上が激減する
ヒープリの評判を落とすために頑張って捻り出した発言…と見せかけて、プリキュア5のアンチが厄介ファンを装って5の評判を落とそうとしたんじゃないかと勘ぐってしまう発言。
以上、粘着型アンチヒープリの面々の主張の一部をまとめたものでした。
まだまだ他にもあるし、数が多すぎて忘れているものもあるだろうけど、その辺はもし次の機会があれば…ということで。
筆者が観測できていない範囲でもたくさんあると思いますが。
おしまいです。
それでは。